ジャン・プルーヴェ Jean Prouve とは
建築生産の工業化に大きな役割を果たした、フランスの建築家・デザイナー。アールヌーボーの巨匠、ヴィクトール・プルーヴェを父に持つ。1901年パリ生まれ。 建築家の資格を持たず、そのため自らを建築家“architecte”ではなく“constructeur”と呼んだ。現在でも世界中に熱烈なファンがおり、オリジナルのヴィンテージ家具の中にはオークションで数千万の値段がつくものもある。アール・ヌーボーの一大拠点であったナンシーの美術学校に3年間通った後、自らの工房スタジオを構え、鉄製のランプや階段の手摺などの製作・デザインを手掛けた。1925年、画家のマドレーヌ・ショットと結婚。1930年、ル・コルビュジエらと共に現代芸術家連盟(UAM)の創立メンバーとなる。フランスの建築家ウジェーヌ・ボードゥアンらとの共作で初期の代表作である建築作品「クリシー人民」の家を手掛け、1937年のパリ万博には、ル・コルビュジェらと共同製作したバスルームを出品。1944年にはナンシー市長に選出され、他にも公的な役職を歴任した。家具の製造を続けると共に、建築部材としてのアルミの可能性を追求する。アルミ製のプレファブ小屋を何百棟も製造し、アフリカに送付。アルミを建築材料として採用した先人として、ハイテク建築とよばれる作品を世に送り出している現代建築家たちに師と仰がれる存在となっている。1957年、ジャン・プルーヴェ建設を設立。パリに活動拠点を移し、フランス国立工芸院にて13年間、教職にも就き、晩年まで活躍。現在、家具作品の多くはvitra(ヴィトラ)社より復刻を遂げている。
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