ミース・ファン・デル・ローエ Mies van der Rohe とは
ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、20世紀のモダニズム建築を代表する建築家であり、「近代建築の三大巨匠」に位置づけられる。「Less is more」(より少ないことは、より豊かなこと)や「God is in the detail」(神は細部に宿る)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献。内部空間を壁などに限定されずに自由に使える「ユニバーサル・スペース」の概念を生み出したことでも著名。1886年、石工の夫婦、父ミヒャエル・ミースと母アマーリエ・ミースの息子としてドイツのアーヘンで生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。1906年にベルリンのブルーノ・パウルの事務所に入り、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけた。この仕事が認められたことにより、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所に製図士として在籍し、建築を学ぶ。1912年、独立して事務所を開設。翌年、アダ・ブルーンと結婚。ベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がけていき、1927年にはドイツ工作連盟に参加。ペーター・ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエらと共に、実験的集合住宅を建設した。1929年のバルセロナ万博で設計したドイツ館・バルセロナ・パヴィリオンによって、モダニズム建築のスタイルを確立。さらにこの時ミースがデザインした家具の中の一つ、バルセロナチェアはモダンデザインの傑作チェアとなった。1930~33年ワルター・グロピウスの後任としてベルリンのバウハウスの校長を務め,1938年シカゴのイリノイ工科大学建築科主任としてアメリカ合衆国に渡った。アメリカで建築に専念したミースは、高層ビル(シーグラムビル、レイクショアドライブ・アパートメント)などを中心に作品を残し、生涯200を越える建築作品の内の120以上もの作品をアメリカで手がけた。均質空間 (ユニバーサル・スペース) という彼の空間概念は,20世紀の建築に重要な役割を果たした。
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