フランク・ロイド・ライト Frank Lloyd Wright とは
フランク・ロイド・ライトは、アメリカが産んだ最も偉大で革新的な建築家であり、「近代建築の三大巨匠」に位置づけられる。一貫して自然と建築の共存を提唱し、有機的建築を数多く残した。1867年、宣教師であり音楽師でもあったウィリアム・ライトと母アンナの第1子としてウィスコンシン州リッチランドセンターに生まれる。ウィスコンシン大学マディソン校・土木科を中退した後、1887年に就職のためシカゴへ移る。叔父の紹介により、建築家のジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所で製図工としての職を得るが、1年ほどで退職し、アドラー&サリヴァン事務所で働く。アドラー&サリヴァン事務所ではその才能を見込まれ、1888年以降のほとんどの住宅設計を任せられた。1889年、キャサリン・トビンとの結婚を機にイリノイ州オークパークに自邸を建築。1893年、アドラー&サリヴァン事務所を辞め、独立し事務所を構える。独立してからの17年間に計画案も含め200件近い建築の設計を行い、プレイリースタイル(草原様式)で世に知られるようになる。1909年、不倫相手(チェニー夫人)と駆け落ちを強行。事務所を閉じ、家族を捨てヨーロッパへ渡った。1911年にアメリカへ帰国したが不倫スキャンダルの余波は大きく、名声は地に落ち、設計依頼は激減。そんな中、ウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地にタリアセンを設計する。その後、事件や悲劇に見舞われながらも少しずつ設計の依頼は増えていき、1913年に日本の帝国ホテル新館設計を行い、1930年代後半になるとカウフマン邸、ジョンソンワックス社と2つの代表作を世に発表。同時期に、プレイリースタイルの発展形である「ユーソニアンハウス」と名付けられた新たな建設方式を考案し、工業化住宅を次々と設計。70歳代になって再び歴史の表舞台に返り咲いた。90年以上の人生の中で、800以上の計画案を遺し、そのうち400棟ほどを実現させている多作家であり、建物や住居だけでなく、家具やテキスタイル、照明やカトラリー、景観までデザインした。統一した創造姿勢はデザインの領域を押し広げ、20世紀の建築と装飾芸術の発展に深遠な影響を与えている。
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