「松本民芸家具 G型 朝鮮棚」を買取させていただきました
松本民芸家具 G型 朝鮮棚
松本民芸家具による、G型 朝鮮棚です。
朝鮮伝統の李朝家具をモチーフに松本民芸家具のクオリティーでリデザインされた朝鮮棚。繊細にして十分な強度を持つ構造と、研ぎ澄まされた絶妙なデザインです。棚サン、柱などその仕口には伝的な組手を使って組み上げています。剣先留柄接(ケンサキトメホゾツギ)という丁寧な加工は剣の先を思わせる尖った縁取りの仕業で見た目の美しさだけでなく、強度を高める効果があります。前板にはミズメザクラの美しい杢板が選んで使用されており、職人の匠の技による丁寧な仕事が成された確りとした頑丈なつくりは、何世代にも渡り使い続ける事が出来ます。
李朝家具
李朝家具とは、李王家が君臨した李氏朝鮮時代(1392~1910年)に作られた調度類、または、この時代の家具のリプロダクトの事も意味します。李朝家具の特徴は、木目の風合い、そして金具の美しさが融合した造形美です。日本の家具と比べて多少の歪や引出しのがたつきなど、造りは大陸的で大雑把なようにも見えますが、木の適材適所を心がけながらバランスよく自然のままに仕上げられていて、日本の家具にない何ともいえない柔らかさ、やさしさ、温もりを感じさせます。そこに風土や長い歴史の中で育まれた李朝家具独特の味、魅力があります。
松本民芸家具
長野県松本市にある家具ブランド。柳宗悦の提唱する民芸運動の一環として、池田三四郎が1948年(昭和23年)に民芸家具の製作を開始したことが松本民芸家具の始まりです。松本の家具の歴史は古く、300年以上の歴史を有しており、大正時代の末には日本屈指の和家具の産地として栄えていました。ところが戦争と終戦直後の混乱によって和家具の生産は休止状態になり、木工職人もバラバラになっていました。松本で建設業に携わっていた池田三四郎は、柳宗悦の勧めもあり、松本木工業の復興に携わることを決意します。池田三四郎は、職を失いバラバラになったしまった無名の名工たちを集め、戦後のこれからの日本の暮らしに必要とされるであろう洋家具を作らせることを考えました。柳宗悦やバーナード・リーチなど、多くの民芸運動の先達が幾度となく松本を訪れたり、書簡を交わすなどして技術的な指導や意匠指導などを行い、また精神的な支えにもなって今日の松本民芸家具の基礎が築かれます。 松本の伝統的な木工技術と日本の美意識を元に、独自のスタイルの洋家具が製作されていきました。 昭和30年代より全国主要都市にて松本民芸家具展を開催。加工精度の高さや秀逸なデザインからその名が大きく世間に広まりました 。その後、米国ロックフェラー三世から注文を受けニューヨークのロックフェラーセンターに納品。副大統領に就任したロックフェラー氏より再度注文を受けたことからも、その品質と西欧人にも通用するデザイン性が高く評価されていることがわかります。昭和51年、通産産業大臣より伝統工芸品『松本家具』の指定を受け、現在も民芸家具の分野を広める為、試作と研究を行っています。 北海道民芸家具や九州民芸家具の本家として現在でも最も高い評価と最高の品質、熟練した技術を誇っている松本民芸家具。日本を代表する家具ブランドのひとつとして、今も発展を続けています。
ミズメザクラ 水目桜・梓
桜に似た樹皮から水目桜と呼ばれますが桜の類とは関係なくカバノキ科の落葉高木です。梓弓の材料になっていたことから梓とも呼ばれています。虎杢と呼ばれる虎の紋様を思わせる杢が特徴。山奥に散在しており家具に使われる200年~300年の歳月を経たミズメザクラは入手困難であり、非常に堅いため加工には熟練の技術を要しますが、美しい木肌を持ちながら狂いがおきにくく粘り強いという非常に優れた特性から百木の長と詠われ、最高級の家具材として重宝されています。
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